日本では年間およそ30万件の特許出願があります。このうち、特許異議の申立てが行われるのは、わずか約1300件です(※1)。言い換えると、競合他社に「効いている」出願は、全体のたった0.4%しかないということになります。どうして、他社にとって本当にインパクトのある出願が、ここまで少ないのでしょうか。私は、その背景には2つの潜在的な要因があると考えています。
<専門家の実務環境>
世界最速の審査(※2)を目指している特許庁の審査官から届く拒絶理由通知書には、新規性や進歩性、サポート要件、実施可能要件、明確性要件など、さまざまな指摘がずらっと並びます。これに対応する弁理士は発明を妥当な範囲に狭めつつ特許査定に向けて反論を試みます。この「妥当な範囲」を予見できるようになることを、一般的には「専門性が身に付く」と言います。ところが、この専門性を真面目に発揮しようとすればするほど、発明の範囲は掛け算的に狭くなりがちです。進歩性・サポート要件・明確性といった各種要件は、実は生き物のように、状況に応じて判断水準が上がったり下がったりします。ですから、すべての要件について一律に「安全側」に振っておく必要は、本来はないのです。
<特許庁の指針>
特許庁には、「特許審査に関する品質ポリシー」(※3)と呼ばれる指針があります。そこでは、「特許庁は、グローバルな知的財産保護を支援すべく、後に無効にならない強さと発明の技術レベルや開示の程度に見合う権利範囲の広さを備え、世界に通用する有用な特許権を設定します」と掲げられています。この「後に無効にならない強さ」や「開示の程度に見合う権利範囲」といったキーワードが前面に出ていると、拒絶理由通知の運用は、どうしても本来の法の趣旨より少し厳しめに振れやすくなります。これもまた、発明の権利範囲を狭い方向へ押しやる要因の一つだと考えています。
私は、こうした二つの潜在的な要因を理解することなく競合他社に「効く」特許を取得することは難しいと感じています。もちろん、何でもかんでも「押せばよい」という話ではありません。どの部分なら少し「引いて」も財産価値を損なわないのかを見極めることも、同じくらい大切です。私たちが、ビジネス視点/産業的視点に立った出願戦略に力を入れているのは、まさにこのバランスをお客様と一緒に設計していきたいからです。
※1)特許行政年次報告書2023年版
※2)産業構造審議会資料 令和5年3月2日
※3)特許審査に関する品質ポリシー(特許庁) 平成26年4月25日
コラム:発明企画
私たちは普段考え事をするとき、課題に直面したとき、「何をしようか(what)」、「どのようにしようか(how)」についてはよく考えます。それは、専門職の専門職たる所以なのかも知れません。しかし、whatやhowから得られる成果は、与えられた課題のスケールを大きく超えるものではありません。スケールを超えるためには、「なぜそれをするのか(why)」について常に立ち返って考えることが必要だと考えています。つまり専門職は細部にまで目を行き届かせることは使命の一つである一方、知的財産権を取得する理由(why)を、「ライバル企業に経済的に勝つ」ことに常に置いておく必要があるのです。
このような観点では、知的財産権は概ね次の2つのタイプに分類できます。
[タイプA](what/how 出発型)
ステップ1:発明者のアイデアから、専門知識を活かしてできるだけ広い権利を取る。
ステップ2:取れた権利の使い道を考える。
[タイプB](why 出発型)
ステップ1:権利を活用している場面とライバルを想定する。
ステップ2:その活用実現のために必要な発明を企画する。
タイプA(what/how)は専門職の基本型であったのかもしれませんが、今後ライバル企業に経済的に勝つためには、what/howに焦点を当てるアプローチ、つまり専門力の発揮だけでは目的に対して手段が不足すると思うのです。
なぜ(why)、目の前のその仕事をしているのか? Whyに焦点を当ててスケールを超える結果を出す。そのために身に付けたい力は、専門力以外のところにも沢山ありそうです。